こっちです
ここを閉じてしまうわけではないのですが。しばらくはこっちにエネルギーを注ぎます。
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重大なヒミツを明かそう。
シアワセになるのなんて実はかんたんなことで、朝目が覚めて、今日はシアワセでいよう、と決心し、満ち足りた気持ちで、感謝と共に一日を過ごせばいいのだ。どんな境遇にあろうが。
ただ、深刻ぶって暮らすことに慣れてしまったぼくらには、リハビリとトレーニングが必要。特別意識せずともシアワセを選び取る生き方の「型」を体に叩き込むこと、そしてそれをキープする持久力を身につけること。
最初は「これから一時間、シアワセでいよう」というところから初めて、徐々にそのスパンを広げてゆく。特定の状況に決まって感情的に反応してしまう自分の癖に気付き、「○○が○○であっても、気に止めない、動揺しない」と、ケーススタディを重ねてゆく。自分の「痛み」を相対化し、そこに溺れない。「うつくしいもの」を見出す感性を磨く。・・・お坊さん達の修行って、本質はそんなものなのかも。
絵馬に「しあわせになりたい」なんて書いても叶うわけがない。シアワセはぼくらそれぞれの内側から立ち現れるものなのだから。神様に愚痴を言っても無いものねだり不平不満の無間地獄に墜ちてゆくばかり。
本来 シアワセにできている はずのぼくらイキモノなのだから、難しいことではない。
冬枯れた道端の日だまりに凛と咲いた小さな花を見つけるように。照りつける夏の陽を避けた木陰で、汗を拭ってくれる風を感じるように。明るいほうへ。明るいほうへ。
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コドモと朝食を取っていたら、ふと彼が手を止めて真顔でぼくに向かい、
「おとーさん、どうやったられんくんとべるのかなあ、あんぱんまんみたいに」と言った。
とっさに応えあぐねて、うーん、じゃあ、おとおうさんはどうやったら、ダチョウみたいに速く走れるんだろう?と問い返してみると、コドモは即座に
「びゅーってはしったらいいんだよ」と答えた。
なんだそんなのでいいのか、と思って、じゃあレンくんもしゅわーって飛んだらいいんだよ、と言うと、そーかー、とあっさり納得してくれた。
それで、あとは、「べちゃーってなったらお好み焼きになれる」とか「じゃーって流れたらお便所になれる」とか「ぱかって開いたら冷蔵庫になれる」とか、おちゃらけ話になってしまったのだけど、最初の、どうやったら空を飛べるのだろう、という問いかけは美しい詩のようだった。
どうか、いつまでも「飛べるわけない」なって放りだしてしまわず、いつかかなうはずと夢見続けるひとでいてくれたまえ。ほんとはみーんな、翼を持っているのだから。
さあて、彼も3才を迎えたことだし、育児日誌もそろそろ了とするかな。
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この世が魂の学びを重ねてゆくための学校のようなものだとすれば、子育ては間違いなく、「ままならない」とうことに直面し、葛藤し、受け容れ乗り越えてゆくことを体得するためのイベントなのだと思う。もちろん「愛」の実践の場でもあるのだけれど、愛にせよ、その本質は「許す」ということなのだから。
ツレアイが一度だけ、「言うことききなさい!」と言ったのをコドモが即座に覚えて、何にかとぼくの顔を両手で挟んで捕まえては、「おとうさん、いうこときいてください!」なんて言うのだけど、ハナから「言うことを聞いてくれる」なんて期待することからしてストレスの元になっているのかもしれない。
子どもに限らず、仕事だって夫婦の間柄だって、ひいては生きてくこと自体、ままならないことだらけなのだけど、子育てはどうにも放っぽって逃げることの出来ない試練だからねえ。
かっとなってきいきい言って後味悪い思いをするより、最初から「こんなもん」って腹をくくっておくと要らない力が抜けると思うの。
・・・3才前からどんどんややこしさが増して、何かと「じゃない」「イヤだ」「いらない」というコドモと接していて、油断するといらいらしてしまう自分に、言い聞かせておるのです。
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2才児クラスに入って、わやわやと遊んでいたら、クラスで一番誕生日の遅い3月生まれの女の子が、たどたどしい口ぶりで「♪アンマリイソイデコッツンコ」と、覚えたばかりらしい「おつかいありさん」を歌い始めた。歌いながらどんどん迫ってきて「こっつんこ」のところでイキナリ頭突きをしてきた。あいた、いたいやんか!とぼくが大げさに驚いて見せると、喜んでまたこっつんこしてくる。
そこまではよかったんだけど、その様子を見ていた周りの子がおもしろがって、一緒になって口々に「アンマリイソイデコッツンコ、アリサントアリサンガコッツンコ」と歌いながらわらわらと集まってきて取り囲み、寄ってたかってごつごつと頭突きをかましてきた。きやあああ、タスケテー!なんて言ったのが火に油を注いだようなもので、ますますがんがんヤラれてしまう。
意識が遠のいて行った頃に担任が来て、あんたらなにしてんのーと声を掛けられるとがさがさと散っていったのだけど。コロサレルかと思った、と言うとオーバーだけど、これはいずれ夢に見てうなされそう・・・(^_^;
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梅雨の折、雨具をまとって保育園に通う事が多いのでコドモは自ら赤いレインコートを持ってきて「デンキコートきせてー」と、覚え違い言い間違いの呼び名で言う。
何だか デンキブラン みたいなクラシックな薫りがするんだけど、雨具にデンキだとちょっとしびれそうな気がする。探せば、電気ごたつ、電気あんか、電気毛布になんかに並んで、電熱でぽかぽかするコートがありそうな気もする。
すてきなんだけど、風呂上がりに、バスタオルをマント状に巻いてもらう際、「ままー、くびにデンキコートまいてー」と言っているのが「電気コード」に聞こえて、一体何をしようとしているのか!?とぎくっとしたりする。
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コドモの誕生日プレゼントに、キッチンセットを作ってみた。
ちょっと予告していた通り、輸入おもちゃの店でコドモがかじりついていたのを参考にして、ホームセンターで木材を買ってきて。
ものすごいアバウトな設計図 を元に、一晩(つい徹夜してしまった)と半日掛けてだいたい完成。材料費は7000円くらいで、既製品の5分の1弱。技術的に拙くてあちこちアラは目立つのだけれど、自作ならではの自慢できる点もある。
まず、これは「キッチン」ではなく「台所」であるという点。輸入品のキッチンはおそらく、電熱コンロをモデルにしたものだし、オーブンを多用する文化を反映してかテーブル下にビルドインされている。ウチのガスコンロは二口だし、オーブンは別に据えてある。これらをふまえて、できるだけ ウチの台所 に近いレイアウトとイメージで作ってみた。
ボウルは百均で買ってきたのをはめ込んだ(天板はベニヤとコンパネの二枚板になっていて、5ミリほど径の違う穴をくりぬいて、段差を作ってボウルをはめ込んでいる)。鍋も百均。水栓やコンロのつまみは丸材をカットして。道具入れの缶は天板に直接ネジ留め。コンロは黒い画用紙を貼っただけ。ふきんやミトンを掛けるフックは10ミリの丸棒を斜め上向けに挿してある。
既製品だと安全基準を考慮してあれこれ制約が掛かるのだろうけど、自作だと思いついた通りにやり放題。
調味料は、つまみと同じ丸材で、液体のものにはやはり10ミリ材を付けて注ぎ口にした。さつお、しお、しょうゆ、みりん、さけ、す、こしょう、とうがらし、あぶら が揃っていて、一般的な和食にはだいたいこれで事足りるはず。
食材(ビーズや梱包材、スポンジなど)の容器を収納し、ふきんやまな板を下げると、これまで雑然と箱に放り込まれていたままごと一式がスマートにまとまって快感!(実はコレが一番やりたかったのかも)
所々コドモにも手伝ってもらったのでサプライズ、というわけにはいかなかったけど、さてできたよう、と引き渡すと、コドモはさっそく料理に取りかかって、たちまち野菜炒めを作ってくれた。これからしばしば、お客さんとして付き合わされるんだろうけど、こうやってイメージを膨らませておけば、すんなりほんものの台所にも入って、お料理できるひとになってくれるはず。
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